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古写真(郵便はがき)

2018-06-25

先日のドローン撮影による「千々石の海岸から普賢岳方面」の写真を見ながら、似たような古写真(郵便はがき)を最近見たことを思い出しました。

戦前の昭和5年(1930年)前後と思われるもので、今から、約90年近く前になります。

古写真では、雲仙岳や九千部岳、吾妻岳などの山並みは現在とほとんど変わりませんが、白砂青松の海岸はまだ防波堤など無くていくつかの民家(小屋)が直接砂場に接しています。その松林の側には小浜鉄道の線路道が走っており、レールが敷設されているのが確認できます。また、この線路と並行するように上の方には通称「曲りの坂」の一般道路が通っていて、この鉄道や道路を利用して小浜雲仙方面や諫早方面へ行き来していたそうです。しかし、鉄道は昭和13年(1938年)に廃止され、その後はレールを撤去し生活道路として利用され現在に至っています。曲りの坂の道路は一部が今も農道として使われており、左手前の石積みは現在もそのままの形で残っています。また、写真上部にはこんもりとした城山がありますが、当然まだ橘神社や中学校の校舎は見当たりません。また、写真中央には現在と同じように湾曲した千々石川が見られ、その岸にはこんもりとした木々が並び、川を挟んだ両側には田んぼが一面に広がっています。川の上部には温泉神社の森も見られ、写真手前と左手には斜面を利用したたくさんの段々畑があります。

はがきの右下には「(日本八景)」、左下には英語で「THE BEAUTIFUL SIGHT OF CHIJIWA AND THE DISTANT VIEW UNZEN PEAK, MT,UNZEN.(NO.1)」、日本語で「(雲仙の絶勝) 風光明媚の千々石の絶勝 遥かに名峯雲仙岳を望む(其一)」と説明が記されています。

この古写真には海岸の右奥方向にある港(波止場)は写っていませんが、千々石が半農半漁の町であることがよく分かり、また今も昔もこの地点から見下ろす景色が町一番のセールスポイントであることが窺えます。

 

 

古写真(昭和5年前後の千々石町)