山本美術館 > ブログ > 古写真(郵便はがき)-2

古写真(郵便はがき)-2

2018-07-01

千々石の古写真では、思い出深い千々石海岸(海水浴場)のものが一枚あります。これも多分、戦前の写真です。

砂浜の海岸と隣接する防風林の松林、そこから通称「曲りの浜」とその上に連なる千々石断層の「愛野展望台」を望むようなアングルで撮られている写真です。もっとも、高台にある展望台は松の枝の陰で見えませんが。

長年、厳しい海風を受けて揺られ右や左に曲がった大きな松の木が群立している中で、丸々と太った二頭の牛が下草を噛んでいる様子と、一番砂浜寄りの松の根元に座って海原を見つめている牛守らしきシャツに麦わら帽子の男性の後ろ姿があります。

松林は現在の様に小さな立木や雑草が密生してしまっているのと違い、先の方が見通せて風通しが程よいような広がりです。海は干潮時で広い浅瀬では洲が現れており、そこには伝馬船のような小さな一艘の舟が直に座しており、また洲の中の海水溜りでは子どもらしい二人が水遊びをしている姿(ほとんど点みたいもの)が見られます。そう思えば、この海原を見つめている男性は子どもたちの安全も見守っているのかもしれません。

また、断層の中ほどに縦に走っている崩落後の山肌は現在も残っていて、この上がちょうど愛野展望台になります。

牛が松林の中で放牧(?) されているのを見て、私が小学6年生の頃、この近くに住む親戚の姉さんが結婚した時、自宅であった披露宴へお袋に連れられ出かけた際、養子となって婿入りする相手の男性が羽織はかま姿で子牛を一頭引きながら歩いてきたのを覚えています。その時は、何故牛が一緒に来るのかなと思いましたが、大人に近づくにつれよく理解できました。

また、この写真ではまだ浜辺と砂場と松林が直に繋がっていて、この辺りが後に「千々石海水浴場」として整備されることになります。この砂浜の広がりと海の中の洲は、私が小中学生の頃、よく仲間たちと泳ぎに行って目にした“千々石の海”そのものです。

この間、橘湾では石油の海上備蓄があったり、千々石海岸では幾度かの護岸工事が行われたり、また潮流の変化などの影響からか、砂浜の幅が段々と狭くなり、洲も現れなくなってしまいました。また、千々石海水浴場は昨年、潮の流れの関係で砂場にたくさんの石が出てきて危険なため閉鎖となり、残念の一言です。

写真の下部には、「(長崎縣) 千々石の松原 (8) PINE TREES ON THE SHORE OF CHIJIWA NEAR NAGASAKI.」と記されていますので、関連した写真があと7枚あることになりますが、私の生存中にお目にかかれるか、 ? マークです。