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続けて、お寺さん

2018-12-05

月日は容赦なく過ぎ去っていき、今年も早や師走を迎えました。年々、何をしていたのかと思わずにはいられないくらいのスピードで、早まるばかりです。前回に続きお寺さんに関しての事を。

1日は今年最後の老人大学でした。前日までは「ご正忌報恩講法座」が行われていて、住職さん始め総代役員の方々や地区役員の皆さんご多忙で、お疲れ様です。

近年、お寺の法座に通いだすようになって思い出したことですが、小学生の頃、おふくろに連れられ初めてお参りした時、講師の講和の合間に役員さんたちが“柄杓銭”と言って長い柄のついた木製の丸い柄杓を持ちながらお参りの人たちの間を回り、参拝者は柄杓の中になにがしかの上げ銭を入れ、集めるのを面白がって見ていました。また、報恩講志や永代経志などの上げ銭を個別に短冊の半紙に「一金○○円也 地区○○ 氏名○○」と書いたものを本堂(外陣)の三方入口の障子上にある鴨居(?) の木の部分にズラーと貼りつけ紹介してあり、風が吹くとこの紙がバタバタと音をたてるのをお経はそっちのけで眺めていました。

これらの習わしは現在も続いていて、私も法座へお参りする前に上げ銭の相場がどれくらいか知人等に確かめ相場程度の気持ちを届けています。上げ銭は1,000円から2,000円、3,000円、・・・10,000円、中には10,000円以上とまちまちのようで、正直、他の人がどれくらい包まれているか気になりますが、なるべく貼紙は見ないようにしています。

今回の大学講和の中では、薩摩藩(鹿児島)であった約300年におよぶ「かくれ念仏」のことを初めて知り、興味を持ちました。

なお、今年最後のカレンダー法語は「自然というは もとより しからしむるという 言葉なり」、英語で「Jinen signifies the way things are caused to be originally.」(出典は親鸞聖人の『末燈鈔』)となっています。

今月も残り三週間余り、気持ちは焦り気味です。

 

専照寺(本堂)